東京都都知事選候補 増田寛也氏の「公共事業で借金倍増1兆円の過去」

岩手県知事時代、借金を倍増させた無能な元建設官僚だった」

<質問者>

「改革派の知事として知られた増田さんは十二年間の在任中に一兆四千億円と、

岩手県の借金の残高を二倍にしてしまったというお話をいたしました。

なぜそのようになってしまったのか。

増田さんのリーダーシップの問題なのか、国の制度の問題なのか、

あるいは悔しくなかったのか、お答えください。」

総務大臣

「この地方財政、岩手の場合に、今お話ございましたとおり、就任時に比べて大体借入金残高が

二倍になったわけですが、その大きな理由、私は、一つは地方での、地方税の収入が

なかなか伸びない、あるいは途中では随分落ち込んだ時期もございまして、やはり地方経済がうまく

立ち行かないということが一つ。それから、あと社会保障関係費はずっとこの間増えてきていまして、

そういう義務的な経費が増えてきているということも一つあります。」

「ただ、一番大きな原因でございますけれども、これは、やはり平成四年以降だったかと

思いますが、国、地方併せまして公共事業を大分景気対策ということで行ったわけでございます。

この公共事業を随分量的に拡大をして実施をしました。これは借金で実施をするものでございまして、

その後、今申し上げましたような地域経済がなかなかうまくいかなかったということによって、

その償還費の負担が非常に厳しかったということもあると思います。」

上記のやり取りは、2008年1月31日の参議院予算委員会にて、

質問者・田中康夫氏からの総務大臣増田寛也氏への手厳しい質問とそれに対する

増田氏の回答です。

自らの知事としての手腕の無さを国のせい・社会のせいとし、本人は色々理由を

つけていますが、国の成すがまま・言われるがままに公共事業を実施し、岩手県の借金を

「倍増」させてきたことを自分自身の答弁で認めました。

彼が在任した1995年度から2006年度の12年間で県債は7029億円から1兆3922円に爆発的に

増えています。知事就任直後が県債発行額が最高額に達しており、

赤字を垂れ流して自らの政治基盤を確立した姿も数字から伺えます。

たしかに、任期後期は急激な予算縮小を断行しましたが、自分でわざわざ公共事業で

借金を増やし、その後に自分で歳出改革して辞める前にプライマリーバランス

帳尻を合わせただけです。

国の施策がアクセル全開のうちに思いっきりアクセルを踏んで借金をさせて、

その後に国の方針転換に合わせて急ブレーキ。初期に借金が積み重なるのも

承知の上であり、このような経済運営で多くの県民・県内企業が振り回されたのではない

かと推察します。

その上、増田氏は公共事業を通じて岩手県内産業に寄与したと主張するも、

県内総生産・県民所得の推移などを見ても顕著な伸びを示したとはいえず、

必ずしも経済運営手腕が優れていたわけでもありません。

ちなみに、田中康夫氏は増田氏と同じ時期に知事を務めて、「僅か6年」で起債残高・借金を減らし、

プライマリーバランスを黒字化し、基金を積み増しまで行ったと同じ質疑の中で述べています。

田中氏と同じ時期の知事として計画的な財政運営ができず、自らの政治基盤を固めるために

元建設官僚として膨大な無駄な公共事業を繰り返してきた、と言っても過言ではありません。

増田寛也氏の「総務大臣時代」の驚くべき「東京蔑視」発言

「景気が回復して地方税収全体が上がるときにそういった、特に東京ですが、

東京に金が集まりやすいような税体系はやはり切り替えていかなければならないと、

こういう大前提がございます。」(平成20年4月24日総務委員会)

「経済活動、我が国全体の総体の経済活動が大都市というよりも東京に一極集中していると、

これが今日、我々として早急に対応していかなければならない格差の問題の主要な

ターゲットになっている、相手方になっていると、こういうふうに考えております。」

(平成20年4月20日総務委員会)

「これは結局、そのことを通じて地域に雇用の場があったり、若い人たちがそこに

きちんと根拠を置いて、みんな都会あるいは東京などに出ていってしまうということを

防ぐためにも、一番、やはりそこに基盤を置かなければいけないんではないかというふうに

思っております。」(平成20年3月26日内閣委員会)

「そうしたことを防ぐ意味で、あえて私は税源移譲のことは申し上げませんけれども、

その税源移譲をするにしても、例えば法人事業税の分割基準を見直しするといったような

ことを行って三位一体改革を進めてきた、こういうことでございます。

例えば、東京都からそういったことによって一千億ほどのお金が地方に移るといったようなことを

やってまいりました。それで税源の偏りを緩和してきたわけでございますが、

しかし、それが不十分だった。そのことは、事実として数字が出ている。」(平成20年2月8日衆議院予算委員会

など、増田氏の総務大臣としての見解ですが、彼は総務大臣時代に東京都を

目の敵として「東京に金を回さない」ということをやってきています。

まさに、東京を蔑視して地方に金を回すことを正義としてきたような発言ばかり、

「地方で地域の雇用を」というのは聞こえが良いですが、それを「東京のお金で」というのが彼の考え方です。

東京都も高齢化社会を迎える中で介護施設・介護人材などが不足している状況ですが、

それは彼ら地方の利権を優先してきた人々が東京都のインフラを蔑ろにしてきたからに

他ならず、東京都に不足する子育て施設も含めて東京への資源配分を蔑ろにしてきた

増田氏の愚策がその遠因にあるのです。

増田寛也では東京を愛していない人物が公共事業によるバラマキで借金を作るだけ

以上のように、今回は増田氏の総務大臣時代の答弁を見てきましたが、自らの失敗に

対する責任は中央省庁や社会環境に押しつけ、そして東京を蔑視する(東京から地方にお金を

回したことを誇る)という有様でした。

増田氏の政治姿勢は一つの考え方として必ずしも否定しませんが、

今更「東京都知事」として名乗りを上げるにはあまりに「厚顔無恥」なのではないかと思います。

アゴ

言論プラットホームからの引用

渡瀬 裕哉

【経歴】早稲田大学招聘研究員、Tokyo Tea Party 事務局長

早稲田大学招聘研究員、東国原英夫前宮崎県知事のマニフェストの作成などの公共分野の改革に関して多数の実績を持つ。 事業家としては渡瀬が経営に参加した企業が東証一部上場企業へのM&Aをされて取締役を務める。役員退職後は複数のITやメディア系ベンチャーコンサルティング・営業支援多数。 国際的な活動として、米国共和党保守派と深い関係を有することから、Tokyo Tea PartyやJapan Conservative Unionなどの立ち上げに参画、全米の保守派指導者が集うFREEPACにおいて日本人初の来賓となり、ネパールで開催されたAsia Liberty Forum 2015の日本人唯一の招待者。

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