いつもブログを書き始めて1カ月程経つと何を書いたらいいのかと悩んでいます。
政治のことを書いても官僚政治が政治が変わるわけなくむなしい発言だけがブログに貯まっていく。
北朝鮮は米朝会談を1か月後に控えた昨日、拉致問題は解決済みと労働新聞に掲載したと言う拉致被害者家族の心情を思うと重く苦しい気持ちになる。
新潟県で山岳遭難をしたと思われる、父子家族が警察署交番に相談したにもかかわらず本署に上げられることもなく40時間も経過しての捜索とはこれも痛ましい。
メディアの報道を真に受けて翻弄されているのは小生だけではあるまい。
どうして我々日本人は、メディアの報道を鵜呑みにして信じてしまうのか疑うことを知らない。
つまり小生も子供のころから右へ倣(なら)えの日本の教育を受けて来たからだろう。
BS1 NHKで中国の三和・人材市場~中国・日給1500円の若者たち~を見た。
工場労働者から一転、日雇い労働者になる1990年代生まれの青年たちを観た。11時間労働の挙句生活は一向に楽にはならず、貧富の格差は埋まらない現実を嘆いていた。
北朝鮮の国民や中国の国民が一党独裁で民主主義でないことを日本人の多くは気の毒な目で見ているように思う。しかし、日本と言う国も本質はよく似ている、官僚たちが作る法律で必ず企業も国民も一つ間違えば法の網にかかる、日本にあるのは、選挙制度で議員を選べるだけであり、その議員たちは官僚に頭が上がらない。市・県議も同じように役所の職員幹部には頭が上がらない。
この様に官僚に支配されている行政が、民主主義と言えるのだろうか。北朝鮮や中国では党が政治の中枢を握っている。日本は官僚が中枢を握っているのである。多くの国民はそのことを知らない。
国会の参考人招致で元総理大臣秘書官の柳瀬唯夫氏は、「加計学園の代表者と首相官邸であったことは覚えているが、愛媛県の職員が同席したかは記憶の限りでは定かではない」旨の発言をした。しかし、愛媛県の職員3名は面会時に様子を事細かに記録しており、極めて信憑性が高い。にもかかわらず抜けぬけと国会の場で言い逃れる姿な総理大臣を守っているのだろうと国民の多くは悟ったはずである。
しかしその本質は、総理を守って貸しを作る構図以外の何物でもないのでる。官僚は常に政治家の上を言っていることを国民は知らなければならない。
総理大臣と言えども官僚たちから見れば「帽子の徽章」なのである。つまり付いているだけのお飾りに過ぎない。リベラルと称する国民はメディアの情報操作にのって直ぐに政治家の首を取ろうとする。すべて、茶番劇なのであることを冷静に見抜き、本質を知らなければならない。
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