「朝鮮紀行」にはイザベラバードが1894年頃の李氏朝鮮時代の朝鮮を描いた「朝鮮紀行」があります。
日本に最も近い国、韓国および北朝鮮。
かつての朝鮮戦争を境に朝鮮半島は二つに分断されてしまいました。
今ではそれが当たり前のようになっていますが、それ以前は李氏朝鮮という統一国家だったことはあまり触れられることがありません。
李氏朝鮮とはどのような国だったのでしょうか。
李氏朝鮮の人々の姿
当時の李氏朝鮮を記した記録は様々あります。その中でも有益な記録となっているのがイザベラバードが残した「朝鮮紀行」です。
イザベラバードはイギリス生まれの探検家であり旅行家です。当時としては珍しい女性の探検家で日本にも訪れています。
李氏朝鮮について詳しく知るには意外にも朝鮮半島に近い日本や中国ではなくヨーロッパからはるばるやってきたイザベラの記録が欠かせないものとなっています。
イザベラが李氏朝鮮を訪れたのは1894年から1897年までで計4回に及び李氏朝鮮末期と言われる時代であり日本は明治時代のことです。
当時の李氏朝鮮は清の属国でいつづけるか、日本と友好関係を結び独立と近代化を果たすかという二大派閥が出来上がっていました。意見が対立する両派閥により李氏朝鮮国内は大きな混乱と不安があった状態です。
イザベラが目の当たりにしたのは、情勢が不安定な李氏朝鮮でした。まず彼女が驚いたのは民衆の外見についてです。
イザベラは李氏朝鮮の人々の顔立ち服装について次のように記しています。
「朝鮮人は清国人や日本人とも著しく異なっており、顔立ちは大変バラエティがあり、衣服が画一的なので一層目に付く」、「日本や清で私たちを悩ませる、現地の人々を識別する難しさが朝鮮には存在しない。
目尻の上がったモンゴロイドの目とブロンズ色を帯びた肌は、ここでも見られるが、
肌の色は浅黒いオリーブ色から極めて淡いブルネットまで、様々である。
鼻はまっすぐな鷲鼻や鼻孔の膨らんだ横広がりの獅子鼻もある」。
「髪は暗色だがその多くは見かけの良い漆黒とするには黒色顔料と油をしょちゅう塗らなければならないほど赤茶の色合いがはっきりしており、毛質は硬いものから絹糸のような者まである」。要約するとイザベラが見た李氏朝鮮の人々はみんな白色の民族服に身を包んでいました。
これは当時の李氏朝鮮が染色技術に乏しかったことを示しています。
今でこそ韓流ドラマなどで色鮮やかな民族衣装が描かれていますが、かつての朝鮮半島は度重なる内乱で経済的に貧しく顔料を作ることも一苦労だったのです。
顔立ちについては朝鮮人はバラエティに富んでいたと述べています。
西洋人であるイザベラにとって日本や清の人々の顔は見分けがつきませんでしたが、朝鮮人に関してはそうでもなかったようです。
ただし、表情については次のように述べています。
「唇のふっくらした幅広の口をポカンと開けている光景は下層民によく見られ、小さな口、または唇が薄くて上品な口は貴族に多く見られる」
つまり、イザベラにとって李氏朝鮮の大衆は品のない表情に見えたということです。
イザベラが李氏朝鮮を訪れて最初に抱いた印象は決して良くなかったことが分かります。
李氏朝鮮の民族性
続いて実際に李氏朝鮮の人々とコミュニケーションをとったイザベラですが、
その性格や民族性について辛辣な言葉を残しています。
具体的には次のように述べています。
「彼らには東洋の悪癖である猜疑心、狡猾さ不誠実さがあり、男同士の信頼はない、女は蟄居(ちっきょ)しており、極めて劣った地位にある」分かりやすく言い換えれば、男は他人を疑うのが当たり前で、ずる賢さがあると言った感じです。
李氏朝鮮の男は西洋的な紳士らしさや日本男児的な誠実さもなかったことがわかります。
また、女性は外出が許されず、ずっと家屋に引き込まらざるを得なかった立場であると書かれています。
当時から世界を回っていたイサベラにとって、李氏朝鮮の女性はまるで奴隷のように感じたに違いありません。
李氏朝鮮の女性の立場
イザベラは李氏朝鮮の女性の立場について、さらに次のように述べています。
「農家の女性には何の楽しみもないと言えるかもしれない。働きづめに働くばかりで、30歳で50歳に見え、40歳ともなればたいがい歯がないがないお洒落への関心は若いうちから消えてしまう」。
要約すれば、李氏朝鮮の農家の女性は労働ばかりで、年齢以上に老けていたということです。
東洋人は西洋人から見れば若いという話がありますが、李氏朝鮮の農村では違ったということでしょう。
イザベラが見たのは李氏朝鮮の男尊女卑の世界だったというわけです。
そしてイザベラが見た李氏朝鮮の民族性は貴族についても言及されています。
李氏朝鮮の貴族「両班」
李氏朝鮮には伝統的に両班(りゃんばん)と呼ばれる貴族階級の人がいました。
イザベラは両班については次のように語っています。
「両班は自分では何も持たない。キセルすら持たない。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない」
「慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけ集めてき連れて行く。
本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ、いい加減さである」
イサベラの記録をもとに、両班という存在を一言で表すと、自分では何もしない無能な貴族といった感じです。
それだけならある意味貴族らしい生活と言いますが、イザベラの記録には両班による民衆への災いが残されていました。
「商人や農民がある程度銭を貯めた評判が立てば、両班か官吏が借金を求めに来る。これは実質的に徴税であり、もし断ろうものなら偽の負債をでっち上げられ投獄され、本人または身内が要求額を支払うまで毎朝ムチで打たれる」
そう、イザベラが見たのは両班による悪夢のような光景だったのです。
李氏朝鮮では両班による理不尽な徴税や仕打ちが目立ち、国を貧しくしていました。
民衆は両班から取り立てが来ないように必要最低限の稼ぎしか得ないようにしていたのです。
イザベラの証言による李氏朝鮮の民族性をまとめると男尊女卑が激しく貴族による悪性によって国が衰退していたと言えるでしょう。
李氏朝鮮の経済と文化
最後にイザベラが見た李氏朝鮮の経済と文化についてです。
まずイザベラが李氏朝鮮の貨幣について次のように述べています。
「朝鮮の貨幣は質の悪い銅銭が商業取引の大きな弊害となっていたが、新しい貨幣が出回っている。良質な日本円またはドルは現在全国で通用する」。
この証言は当時の李氏朝鮮の経済力、技術力が乏しく、実質的に日本や欧米の影響下にあったことを示しています。
先に触れた両班の存在もあり、李氏朝鮮の国力はおよそ他国とは比べることができないほど弱いものだったということでしょう。
李氏朝鮮の町並み
それを裏付けるように、イザベラは李氏朝鮮の町並みについても厳しい言葉を並べています。
「朝鮮の一般的な町のみすぼらしさはこの町(釜山)と似たりよったりである」
「家の外側にはたいがい不規則な形の溝が掘ってあり、固体及び液体の汚物やゴミが溜まっている」
この証言から李氏朝鮮の一般的な町は貧しさを感じさせるものばかりであり、家屋周辺は極めて不衛生だったことが分かります。
そういった環境では煌びやかな文化が生まれる理由もなく皮肉にも、イザベラは次のような言葉を残しています
「ソウルで最も目を引く建物はカトリックの大聖堂とアメリカ監督派教会であった。
つまり、当時の李氏朝鮮は独自の建築物と言えるものは少なく、流入してきた西洋の異文化が目立っていたということです。
以上がイザベラが見た李氏朝鮮の実態です。
独自の文化を築いてきた日本や中国とは違い国力の弱さから貧しい生活を余儀なくされていた背景が目に浮かびます。
韓流ドラマや映画のような華やかな歴史は李氏朝鮮の史実とかけ離れら虚構なのです。
後世の創作で歴史を偽ってもそこには健全な文化も人格も育たないと思うのは小生だけなのでしょうか。
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